英語と私

中学時代、私はかなり厳しい塾に通っていた。最後はほとんど週6日で、19時か17時(←土曜など)から24時前まで授業(今思えばアリエナイ!)。先生はかなぁ〜り厳しく、場合によっては男子は殴られる。女子は…まぁものが飛んでくる程度だが、チョークどころでなくゴミ箱が飛んでくることも。しかし、教え方はとてもうまく、英文法などは「高校でも役に立つ」という位しっかり教えてくれた(私を含めた生徒が今でも全てを覚えているかは別問題だが)。その甲斐あってか、塾長に「ナマケ者」と呼ばれた私ですら、受験もそれなりにクリアーできたし、中学にいた外人講師と片言ながら英語で話すこともできた。
とはいえ、元々語学はそれほど向いている方ではなかった。暗記モノがダメで、単語や綴りを覚えたりということが苦手だったからだ。書いても書いても覚えられず、綴りを間違えては怒られた。それでもなんとか覚えた僅かばかりの文法は非常に役に立った。人並みに、一生懸命話して通じたときの喜び なども知っていたし一番身近で使いやすい海外とのコミュニケーションツールとして英語を認めていたので、キライではなかった。そんな私が英語を「もういいや」と感じたのは、高校の授業からである。
高校で私は、なぜか3年間英語のクラス分けで上位クラスにいた。おそらく、クラス分けテストに限ってうっかり成績が良かったからだが、これは大きな間違いの元であったと思う。第一に、先生の喋ることが分からない。英語で新しい文法を説明されてもさっぱりだったし、普段の喋っている内容も「教えている内容」*1は1/3ぐらい分からなかった。第二に、生徒が喋っていることが分からない。教師ならば「ゆっくりはっきり話そう」などと気をつけている場合もあるが、生徒はそうもいかない。特に「帰国子女」は、人によってものすごい速度(当社比・笑)で喋るし、発音も流暢過ぎて聞き取れなかった。第三に、上記二点のせいで授業の流れについていけなかった。ビデオを見る・先生が喋る→生徒が笑う という状況ですら、なぜ笑ったのか分からなかったり… 
そんなわけで授業に出るのは、結構辛い。それほど厳しくないものの、授業によっては「辞書は英英だけ可」だったりして、引いても引いてもよく分からないなどということもあった。できるだけ予習として英和辞書を引いたりした時期もあったが、程なくやめた。見切りがついた、と思ったからだ。スポーツなどで「優れた相手と競い合えば記録は伸びる」などと言うが、この場合の私には「優れすぎた相手はやる気を挫く」であった。
もちろん「帰国子女」も、その語学力を手に入れるまで苦労をしたであろうことは想像に難くない。しかし、既に出来上がった彼らを中心とする授業の流れ、しかも必修科目は、私の少ない意欲をそぐに十分だった。結果、上位クラスの底辺でなんとか授業を「受け流す」ので手一杯だった私は、高校時代に習うべき文法などは何一つ身につけず、件の塾で習った文法だけでごまかしごまかし卒業してしまった。
今思えば、「声の大きい」できる人の反応が目に付いただけで、他の生徒はそこまでではなかったのかもしれない。授業の速度もそれに教師が引きずられた結果だった可能性もある。しかし当時は「みんなついていっているのだろう」信じていた。それに、新しいことを何一つ学べない(学ぶ力がない)授業は、流れるばかりで実がなく、楽しいわけもなかった。

もしもこの高校に入らなかったら、もしも他のクラスでもっと地道に勉強できていたら… と考えることもある。しかし、暗記力が弱く「ナマケ者」の私ならば、結局いつの日か挫折したのかもしれない とも思う。
「大学生頃には英語くらい喋れて、大学を卒業する頃はもう一ヶ国語くらいできるかな」などと無邪気に想像していた幼稚園時代が懐かしい。世界は狭かったが、未来と可能性だけは無限だったなぁと思う。「人生は毎日選択と決断の繰り返し」というが、大人になるとは、こうして可能性を一つ一つ捨て、未来を決定していくことなのかもしれない。

*1:何故か雑談は大体理解できた・笑