「帰国子女」について

昨日書いた「英語と私」に対するコメントにレスをつけていたのだが、あまりに長くなったので分けることにする。

「帰国子女」の英語の授業に対する態度 についての続き。
ある「帰国子女」の話。親の仕事の都合で彼女が渡米したのは、確か中学頃。彼女は既に日本語による生活や学習、人格形成が成っていたため、アメリカでの生活は非常な苦労とストレスを伴った。分からない言葉の社会、学校、授業、友人。必死に勉強してもなかなか思うようには英語の習得はならず焦った。周りが何を言っているのか分からない、自分だけが…と思い大変辛かったそうだ。
彼女には妹がいた。しかし、幼い妹は遊びの中から英語を学び、あっという間に周囲になじんでいった。既に言語を伴わない遊びをする年齢でもなく、また本格的に勉強をしなければならない年齢だった姉は必死に英語を勉強しながら妹を羨ましく思い、同時に苦労する自分を惨めに感じた。
最終的には、姉も英語が分かるようになり現地での生活に慣れ、後に帰国したが当時の苦労を忘れてはいない。

この話には教訓(?)が二つある。
①「帰国子女」も渡航時期等により言語習得に多かれ少なかれ苦労している→だから国内生は「帰国子女」をひとくくりにして「できて当然」と気軽に言うのは配慮と想像力に欠ける。
②「帰国子女」は周囲とのギャップや言語習得の苦労を本来誰より知っているはず。例え時期的にそれほど苦労しなかった人も多少の想像ぐらいできるはず→自分ほど英語のできない人がいる場で自分のレベルのみを重視するのは配慮と想像力に欠ける。
ということ。

これで言いたいことが通じたかな?わかんなかったらまたコメント下さい。
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